岩菅山スキー場とは?長野五輪で消えた「幻の滑降コース」を現地レポート
「聖地」という言葉には、特定の分野で重要な場所、憧れの場所という意味があります。
今回の廃ゲレンデレポートは、1998年長野オリンピックの滑降コースとして使われる予定で、実現していればアルペンスキーの聖地になっていたかもしれないスキー場、岩菅山スキー場です。
しかし計画は開発される前に頓挫。今回は開発予定地だった志賀高原・岩菅山に実際に足を運び、現地の様子と頓挫の歴史を調査してきました。
- 岩菅山スキー場が計画された経緯
- 開発が頓挫した理由
- 現地の今の様子
- 開発問題から見える未来への教訓
岩菅山スキー場の計画概要
岩菅山は、長野県の志賀高原に位置する山岳地帯です。
1998年長野オリンピックの開催が決まる中、この岩菅山に新しいスキーコースを設置する計画が持ち上がりました。
もし完成していれば、日本一標高の高いスキー場になる予定だったと言われています。
コース諸元は次の通りです。
- 標高差:883m
- 最大斜度:37度
- 最長滑走距離:3,107m
- コース面積:約63ヘクタール
- コース数:9本
標高差・斜度ともに十分で、アルペンスキーの滑降会場に非常に向いていたコースだったといいます。

この計画が頓挫したことで、アルペンスキー滑降の会場は白馬八方尾根に変更されることになりました。
なぜ岩菅山に?オリンピック招致と開発計画の裏側
1987年12月、招致委員会が岩菅山の開発計画をJOC(日本オリンピック委員会)に提出しました。
競技会場の開発を含む開催概要計画書が提出されたそうですが、実はこれは地元合意のないまま進んだ計画だったといいます。
JOCへ計画が提出されるまでの2年間、地元住民や県民・地元団体への合意形成の努力がされなかったと言われています。
時代を少し遡ると、1976年には焼額山の開発に反対する地元住民と、開発に関わる国道計画の間で意見が噛み合わない問題もすでに起きていました。
そんな中、1987年に突如として岩菅山の開発計画が浮上します。
オリンピック開催の景気に乗じて、関連するスキー場を結合させ、超巨大なスノーリゾートを作ろうとしていたのではないかと囁かれています。
当時施行されていたリゾート法も、こうした開発を後押しする形になっていたようです。

開発が頓挫した理由|自然保護と地元合意の欠如
1980年代後半、志賀高原はすでに約1,000ヘクタールが開発され、ホテルも約200件建っていたそうです。
そこにさらに岩菅山スキー場を作るとなると、プラス400ヘクタール規模の駐車場や森林伐採が必要になる状況だったといいます。
志賀高原の中でも、岩菅山周辺だけは開発の手が入っていない、貴重な自然が残るエリアだったという主張もありました。
猿・熊・鹿・カモシカなど多くの野生動物が生息しており、開発はそうした生き物たちの住処を奪うことになる、という懸念から地元の反発があったそうです。
また、高速系の滑降コースには十分な標高差が必要ですが、志賀高原には元々それを満たすスキー場があまりなく、新規開発が必要だったという事情もありました。
ワタル札幌五輪の時に作られたコースも、大会後の自然復元がうまくいかず、周囲の景観と違う跡が残ってしまった例があります。開発と復元は必ずセットで考える必要があるんですよね。
- 追加開発面積は約400ヘクタール規模
- 野生動物の生息地への影響が懸念材料に
- 地元合意が不十分なまま計画が先行
現地レポート|五輪高原の廃墟と焼額山スキー場
ここからは実際に現地を訪れた様子をレポートします。
志賀高原には、岩菅山のほかにも「五輪高原」「焼額山」「内山(苗場方面)」をつなぐ壮大な計画が実在していたと言われています。
志賀高原のスキー場は地元資本によるものが多い一方、五輪高原・焼額山・岩菅山(そして苗場方面)は、すべて西武系列のスキー場という共通点があります。
今回、五輪高原にも立ち寄りましたが、現在この一帯は完全に廃墟となっており、施設は何も残っていません。
かつてはゴンドラで内山方面まで繋がる予定だったという構想があったそうですが、現在そのロープウェイもすでに撤去されています。
ワタルごりん高原スキー場の動画はこちら(別動画)
湯田中ドライブインから志賀高原へ登り、人気の焼額山スキー場方面へ向かいました。
焼額山スキー場は、志賀高原の中で初めて外部資本(地元以外のスキー会社)が開発したスキー場です。
西武王国時代、このスキー場を起点にいくつものスキー場をつなぎ、大きなネットワークを作ろうとした、壮大な計画の原点にあたる場所だとされています。
実際に間近で見ると、焼額山はかなりの急斜面で、標高もかなり高い山でした。平均20度以上、最大30度近い斜度があると見られ、標高差も十分に取れる立地です。
岩菅山登山口へ|神聖な山として伝わる場所
焼額山から分岐点を経て、岩菅山方面の道を進みます。
道は割と綺麗に整備されていましたが、冬季に除雪されているかどうかは不明でした。
岩菅山の登山道入り口には、標高1,535mから標高1,496mまでコースを延伸する計画だったという記載がありました。

周辺には白樺の木が多く見られましたが、これはかつての伐採後に二次的に生えてきた森だと言われています。
この森を再び伐採してスキー場にすることには、地元の方からも反発があったそうです。
さらに岩菅山の麓には、鳥居のような神社もありました。
岩菅山は古くから神聖な山とされており、結婚などの人生の節目で登拝して神様に参るという風習や、火山信仰にまつわる伝承もあると言われています。

地元住民の声「できなくて正解だったのでは」
今回、現地の方に当時の話をヒアリングすることができました。
結論として語られたのは、「コースができなくて良かったのではないか」というお話でした。
伐採した森林がようやく元に戻ってきた頃に、また開発しようとする動きがあったことや、岩菅山から内山方面まで直線で18kmをつなぐ構想があったことなども教えていただきました。
もし岩菅山スキー場が完成していたら
岩菅山の麓からは、電柱の真上あたりに岩菅山を見ることができます。今回は雲に隠れてしまっていましたが、あの山の斜面がスキー場になっていたかもしれません。
地元の方の「できなくて正解だったのでは」という言葉には理由があります。
岩菅山スキー場は、オリンピックのためだけに山を開発し、大会後は競技者専用のスキー場になる予定でした。
つまり、毎年ワールドカップなどの大会を継続的に誘致し続けなければ、施設を維持する意味を持たせにくいという課題も抱えていたのです。
一方で、個人的には「完成していたら、日本のアルペンスキーはもっと世界と戦えるレベルになっていたかもしれない」とも感じています。
アルペンスキーの競技者専用コースがあれば、そのレベル向上が基礎スキー全体の技術力の底上げにもつながっていたかもしれません。

岩菅山スキー場開発問題から見える未来への提言
今回参考にした文献には、この岩菅山の事例を踏まえた未来への提言もまとめられていました。
当時のオリンピック憲章や規則には、自然環境保護に関する明確な理念がなかったといいます。
岩菅山のような新規コース開発による自然破壊を防ぐために、既存のコースや施設を最大限活用すべきだという提案がされています。
- 既存施設・コースの最大限の活用
- 1会場に集中せず、複数地域での共同開催によるリスク分散
- 世論を踏まえた自然保護意識の反映
近年のオリンピックでは、開催規定が見直され、離れた複数の地域での共同開催が認められるようになっています。
自然の中で楽しむスポーツだからこそ、環境問題は必ずついて回るテーマです。当たり前のように雪が降り、冬になればスキーができるこの環境を未来につないでいくためにも、こうした歴史を発信し続ける必要があると感じています。
- 岩菅山スキー場は長野五輪の滑降会場になる予定だった幻のコース
- 地元合意の欠如と自然保護の観点から開発は頓挫
- 現地には今も神聖な山としての信仰が残る
- 既存施設の活用と共同開催という形で、教訓は今のオリンピックに活かされている
今回は岩菅山スキー場について調べ、動画と記事にしてみました。
事実と異なる部分があるかもしれませんが、現地の方へのヒアリングやリサーチを通じて作成しています。詳しい情報をお持ちの方は、ぜひコメント欄で補足いただけると嬉しいです。
SnowHubでは、こうした廃ゲレンデをたどるシリーズをYouTubeで継続配信中です。あわせてぜひチェックしてみてください。

