かつて、道場と称された程のスキー場が廃墟化した理由を徹底調査|浦佐スキー場の全盛期は1日で1500名のスキーレッスン受講!?

小規模なスキー場に1日で1500人がスキースクールに通う…そんな時代がありました!

かつて、日本に壮大なスキーリゾート計画が存在しました。もしそれが実現していたら、今の日本のスキー業界はどうなっていたのでしょうか?今回は、その計画の全貌と実現しなかった理由についてお話しします。

浦佐スキー場は、スキー愛好者だけでなく、地域全体を巻き込んで発展してきた歴史があります。

しかし、その輝かしい歴史の裏には悲劇や困難もありました。そして現在、浦佐スキー場の跡地は「廃墟」としても注目されています。

この記事では、1950年代から2010年代まで続いた浦佐スキー場の歴史を振り返り、その栄枯盛衰を探っていきます。

目次

新潟県にあったスキー道場|浦佐スキー場の歴史を振り返る

1955年:八色ヶ原の土地買収計画とグラウンド建設

1955年、浦佐村は不二越鉱業株式会社から八色ヶ原の約5万坪の土地を買収し、県立農業高校の誘致を計画しました。

しかし、この計画は立ち消えとなり、代わりに村営グラウンドの建設へとシフト。7,000坪の土地を借りて野球場や陸上競技場、テニスコートなどを設け、地域のスポーツ活動が活性化しました。

この総合運動公園の維持管理をするために財源確保が必須、スキー場建設案が浮上します。

1956年:スキーブーム到来と大和村の発足

翌1956年、イタリアのコルチナダンペッツオで開催された冬季オリンピックで、猪谷千春選手が銀メダルを獲得したことで、日本国内にスキーブームが到来。これにより、スキー場建設の動きが加速しました。同時に、浦佐村は大和村として発足し、村全体でスキー場建設に向けた機運が高まりました。

1957年:スキー大会開催とスキー場建設決定

1957年2月、地元中学校の協力のもと、奥山(現・浦佐スキー場第二ゲレンデ)でスキー大会が開催され、多くの父兄がスキー場建設に賛同。この結果、4月末には「スキー場建設委員会」が設立され、浦佐スキー場の建設が正式に決定されました。

1960年代:スキー場の開業と地域振興

浦佐スキー場が開業した1960年代には、東京方面からも多くのスキー客が訪れるようになりました。リピーターが増える中、周辺には季節旅館や民宿が次々に誕生。安価で親切なもてなしが評判となり、スキー観光が地域経済を支える柱となりました。また、1962年には民宿組合が組織され、地域全体でスキー客を迎える体制が整いました。

1966年:地滑り事故とその影響

1966年3月、浦佐スキー場の初心者ゲレンデで地滑り事故が発生。スキーロッジが全壊し、多くの犠牲者を出しました。

この悲劇を受け、地元の人々は慰霊碑を建立し、スキー場の安全管理を強化。苦しい経験を乗り越えたことで、浦佐スキー場はさらに強く、魅力的な存在へと進化しました。

1970年代:ウェーデルンの練成道場としての評価

1970年代には、浦佐スキー場とスキー学校が「ウェーデルンの練成道場」としてスキー界で高く評価されるようになりました。

スキー学校は常勤講師30数人、非常勤講師10数人の大組織となり、講師になるためには厳しい訓練が必要でした。スキー学校の成長は、浦佐スキー場のさらなる発展と地域の活性化を支えました。

2000年代以降:スキー場のとしての再評価

2000年代に入ってからも、浦佐スキー場は多くのスキー客に支持され、地域振興の重要な存在であり続けました。

しかし、スキー人口の減少や時代の変化により、スキー場はその役割を終え、「廃墟」になってしまいました。

浦佐スキー場の跡地は今もその歴史を語り継ぎ、訪れる人々にさまざまな思いを抱かせる場所となっています。

浦佐スキー場と付近のスキー場の集客比較

シーズン(年)浦佐スキー場浦佐国際スキー場八海山麓スキー場
1963-01-0160,753
1964-01-0162,206
1965-01-01107,543
1966-01-01111,278
1967-01-0179,558
1968-01-0197,966
1969-01-01150,97713592
1970-01-01158,78127395
1971-01-0192,80015326
1972-01-01145,77026681
1973-01-01120,86023384
1974-01-01128,70025860
1975-01-01109,4006,60726,270
1976-01-01121,9608,82019,300
1977-01-01125,35010,07019,440
1978-01-01102,32011,64020,400
1979-01-0199,3209,02030,200
1980-01-01100,9002320029400
1981-01-016990017,70018,400
1982-01-017490017,90025,900
1983-01-0185,70020,50034,900
1984-01-0173,90032,30033,500
1985-01-0178,80070,70039,500
1986-01-0169,10071,70039,300
1987-01-0158,50067,20035,800
1988-01-0145,70049,20019,000
1989-01-0158,00061,80027,700
1990-01-0164,60068,50041,100
1991-01-0141,90057,00040200
1992-01-0156,70079,40054,300
1993-01-0154,20075,00050,600
1994-01-0148,10071,00045,300
1995-01-01
1996-01-01
1997-01-01
1998-01-01
1999-01-01
2000-01-01
2001-01-01
2002-01-01
2003-01-01

まとめ

浦佐スキー場の歴史は、スキー愛好者だけでなく、地域全体を巻き込んだ努力と情熱の物語です。スキーブームに乗って地域振興の核となり、数々の困難を乗り越えながら成長を遂げました。現在は廃墟となったものの、その場所にはかつての栄光と苦難の足跡が刻まれています。浦佐スキー場の跡地を訪れることで、その歴史を感じ、地域とスキーの関わりについて思いを馳せるきっかけとなるでしょう。

 【この記事の参考文献】
・大和町の近現代
・現地調査

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この記事を書いた人

snowhub_officialのアバター snowhub_official スノーハブ代表

オンラインショップのSnowHub(スノーハブ)をはじめ、オウンドメディアサイトも手がける。多くのスキーヤーに情報と商品をお届けします。

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